さて、帰国記念企画として(?) 我が家にC−1、そしてC−2が届けられた。 (HGさん、なっ!くれ〜さん、koyamaさん ありがとうございました) C−1、C−2という型番の機材は他にもあるが 今回ご登場のそれはTEACの往年のカセットの名器である。 開梱の段取りの都合があって C−1から拝聴させていただく事になった。 僕は録音機には疎いので、C−1がどんな物なのかについては 例えばHGさんのHPなどご参照頂く方がよい。 一応スペックを拾い読みすると お送り頂いたのは 初代C−1で、登場は’78年。 当時23万8千円と高級機。 (翌年フェリクロ対応省略、メタル対応の MKUが24万5千円で出た) ラックマウントサイズで482W×161H×353D とかなり大きい。 GTラックサイズのラックで 横幅は少々飛び出す。 高さもパネル自体は133Hしかないのだが 脚が案外と縦長で全高としては大き目になる。 重量14,5kg。 3ヘッド3モーター。 NRはDolby内蔵。 別売でdbxユニットRX−8があった。
能書きはこの辺で止めておくが とにかくこのデッキは独特の美しさを持っている。 アイボリーと言ってよいのだろうか。 フロントパネルはオーディオ機器には珍しい色を採用している。 テープホルダーの部分は適度にスモークが掛かっていて 対比が見事。 各スイッチの配置、フィーリングも優れていて 触って楽しい。 これは特にデッキでは重要な事だと思う。 録音スイッチ、ポーズスイッチだけ それぞれ赤系、青系の着色がされているのも TEACらしい。 泥臭いと感じる人もいるかと思うが ちょっと手元が暗い時などは こう言った気配りが大変嬉しくなるものだ。 TEACブランドで出てはいるが どちらかというとTASCAMに近いノリがある。 メーターは特にインジケーター等の無い シンプルなピークメーターのみで いかにもマニア向け。
物がデッキとなると どうしても録音再生をしてみて どれだけ音質変化が少ないかが 気になってしまうのは仕方の無いところで ついついテストじみた事をやってしまう事になるのを お許し頂きたい。 一日掛けて (もちろん休み休み) あれこれいじらせて頂いた。 最初は馴染みが無いので つい録音レベルを高め高めに持って行ったりして 失敗してしまったが 最後には随分馴れて来た。 何でもそうだが、特にデッキとなると 使い慣れるまでは相応の時間が必要。 加えてC−1の場合はBIAS、EQ共微調整が可能なのだから とことん追い込めば音は確実に向上する筈だが 僕にはそこまでの腕が無いのが申し訳無い。
何気なく聴き比べていたら オリジナル音源との差は見逃してしまいかねない くらいの高音質だ。 例えばアナログLPをダビングしても 夢見るようなハイエンドの清々とした伸びが 見事に再現される。 もちろん、CDでも同様であった。 寝ぼけたソースを使ってはデッキに失礼なので 意地悪なソフトも使った。 例えばピンクフロイドの「狂気」。 冒頭の心臓の鼓動にも似た合成音は ご存知の通り、かなりの超低域まで伸びている。 僕の知っている限りのデッキでは どうしても、この“伸び”が再現できず、 大抵ピッチが上がってしまったように聞こえたものだ。 C−1ではそんな事はまるで無い。 ちゃんと部屋中を揺らしてくれた。 恐れ入りました。 (カセットの高級機を拝聴するのは初めてだったりする)
リリングのバッハ。 「教会暦によるオルガン・コラール集」だ。 長岡先生が晩年取り上げられて有名になったが このディスクには、何故か本当に数ヘルツの領域の 超超低音が入っている。 聴いても楽しいが、ウーファー、あるいはフルレンジが まるでスイープするように動くのが 目で見てわかるので 聴いて良し、見て楽しのお買い得ソフトとなっている。 C−1で挑戦してみると 音の方は問題無く収録される。 ただし、ユニットの楽しい(?)動きは消える。 当たり前だ。そんな領域まで伸ばしたら いざと言う時録音アンプが気絶するに決まっている。(!) 録音機のチェック用としては厳しすぎる、 というか不適切なソフト?。 (繰り返すが音の方は問題ほとんど無し)
高橋美智子の「超絶のパーカッション」だ。 コントラバスマリンバの登場する、あれである。 このソフトは、静もあり動もあり。 オーディオ装置の限界に挑戦する感もあるが リスナーの方も対決を迫られる。 疲れるので最近はご無沙汰していたが 久し振りに引っ張り出した。 トラック2だけを使ったが さすがにコントラバスマリンバの迫力は ほんの僅かだが遠のく。 「狂気」や「リリング」と同じような超低域なのだが やはりパルシブなものとなると話しが違って来るみたいだ。 (ちょっと意地悪過ぎる?) また、各種パーカッションが輻輳するところも ほんの少し分解が甘くなる。 (ただし、このソフトに馴れていなければわからない程度) 慨して音数が少なくおっとりとしたソフトよりも 複雑に音が入り乱れるソフトの方が音の違いは見付け易いようだ。 、、、と、随分性格の悪い事をやっているようだが 本当の事を言うと、これくらい厳しいソフトを使わないと 「いや〜、本当にオリジナルとの違いがわからない。 凄いです〜。」 で話しは終わってしまう。 こっちは違いを見つけるのに四苦八苦していたのである。 これが20年以上前のカセットデッキ?。 凄い物が売られていたものだ、、。
何かを言い切るのは危険だが、 今日のところの感想としては 録音レベルは欲張るよりマージンを持たせた方が良いタイプとみた。 (やっとメーターに慣れた、、) そしてヒスノイズはやっぱり気になるので 途中からDolbyは入れっぱなしとした。 全体にヒステリックな所が無く 良い意味でのゆとりを持った大人のサウンドとお見受けする。 さて、明日以降は添付して頂いたリ 別送でお送り頂いたテープを拝聴してゆったりと音楽を楽しみたい。 今日はちょっと根を詰めすぎてしまったみたいな、、。
さて、C−1単独で拝聴しているだけでは 能が無い。 そこでDATに登場して頂く。 とは言っても僕が持っているのは TCD−D8とポータブル機だけなのだが、、。
アナログLPからダビングする。 ソースは以前ご紹介した 「ディブグルーシン」。 録音を済ませて、いざプレイバック。 「、、、。」 何と表現したら良いのだろう?。 一言でいうと、CDみたいな音だ。 元ネタのLPの方は良く聴くので 違いがすぐにわかる。 LPとの対比でいうとDATに録音した物の方が カッチリと聞こえるし、見通しも良い。 ベースの運び方など、こちらの方が良くわかるくらいだ。 DAT恐るべし?。 ここでC−1で録音した物を聴いてみる。 「、、、。」 何と言うか、こちらはアナログLPに 実に似た音がするのである。 DATとの対比では SN比はDATに負けるし、 一聴すると、どこか不明瞭な感じがつきまとう。 しかし、どちらが原音に近いかと言えば、 圧倒的にC−1録音の方なのである。 DAT録音の“わかりやすさのようなもの” も捨て難い魅力があるが、 どこかモヤモヤとした微少信号を 置き去りにしてしまったのではないか? という感を免れないのも事実。 対してC−1でのアナログ録再の方は 空気の中の塵までもキチンと録ってくれているような気がする。 塵にはおさらばした分、DAT録音の方は明瞭さを 得ているとも考えられるのだが、、。
何とも有り勝ちな話しなので、書こうか書くまいか 迷ったところだが やっぱり伸びに差がつくのである。 カセットの方ではアナログLPの伸びやかさが そのまま再現されるのだが DATの方では、厳しい言い方をすると 少々音がなまって聞こえる。 楽器の質感が、違って伝わってしまうのだ。 頭を押さえられる感じがある、と言っても良い。
シビアーに聴き比べての事。 ましてやDATとはいえ拙宅のは ポータブル機。 ポータブルだから悪いと言うのではないが C−1がカセットの高級機であるのに対して D8はDATのローエンドに近い物である事は否めない。 だから一概にカセット万歳、DATはイマイチなどとは 夢々思われぬようお願いしたい。 それにしても、C−1恐るべし、、、!。
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