4月30日

先月、共同通信社から
開拓者 長岡鉄男」と言うMOOK本が出た。

ダイナミック大賞の総集編が載っていたりして
懐かしい。

そこに登場する機器は、
当然の事ながらほとんどが生産完了品であり、
「買い物ガイド」としては本来役に立たない筈なのだが
今尚もって「読み物」として成立していると言う事実に
色々な意味で驚かされる。


それはさて置き、このMOOKには
付録でCDが一枚付いている。

中身は何か?、と言うと
@’84年 フォステクスセミナーでの長岡氏の肉声。

A ’94年 方舟でのガムランの演奏

B ’98年 富士火力総合演習

C ’98年 長岡鉄男 初仲人の際のスピーチ

と、ファンなら喜ぶが、そうでない人は石を投げそうな(?)
内容だ。(笑)

僕は当然喜んだけどね。


まあ、あれこれ興味深かったが、
個人的には@のフォステクスセミナーでの
スピーチ
一番面白かった。

まず、「そろそろ引退したいんだけど、
なかなか辞めさせてもらえない。
とのコメントがある。

来年くらいには辞めたい。」と、この頃から
言ってたんだなぁ、と感慨深い。

年中無休で、土日もなければ盆暮れの休みも無し。

あちこちでその事を嘆く文も書かれていたが、
運命は長岡先生を休ませてくれなかった様だ。

続いてマトリックススピーカーの説明に入る。
この時はマトリックススピーカーの十号機、
MX−10が出来て間も無い時期だった。

「やっと低音が出るようになった。」
(註 マトリックススピーカーの1号機誕生以来
低音増強が課題として残っていた。)
「考えてみれば単純な事で、
最初からこうしていれば良かったんです。」
(註 MX−9でダブルバスレフ採用。これが成功。
それまではウーファーを足したりと、色々な実験が
続けられたが、全て不成功。)
「でも、それは仕方のない事で、最初から完璧な物は作れない。」
作ってみて、初めて欠点がわかる。」

と話しが続く。
本当にその通り。

更に
「これをテレビと組み合わせられないかと、
東京の読者から手紙も貰っている。」

「また、その内続きを考えなければいけない。」
と語られている。

マトリックススピーカーの音場と言うのは
テレビの音声と組み合わせると
実に楽しくて、病み付きになるのだが
この段階ではテレビとマトリックススピーカーの
合体
は実現出来ていなかった。

それが叶ったのは’86年位の事だった筈。


この後、話しは音場再生の方へと移る。

当時(今も?)メーカーがいかに音場と言う物を
誤解していたかが窺い知れる。

さて、話しを聞いていて、
久し振りに部屋の片隅に転がっている
マトリックススピーカーを使ってみたくなった。

それと、なんだか自作の虫がムラムラと湧き上って来たみたいだ。

最近はロジャースが急成長で
ネッシーの立場もだいぶ怪しいものになりつつあるが
手を入れる素材としては大変興味深いし、
プランだけは色々あるし、、。

ユニットもフォステクスだけにこだわる必要もない
案外その辺に転がっているユニットが使えたりして?。

そろそろ、よっしーオリジナルが出来ても良いかもネ。


長岡先生
本当に長い間
ありがとうございました。


とか何とか悠長な事を言ってる内に
「観音力 アンソロジー」
「不思議の国の長岡鉄男」
立て続けに続々“長岡本”が出てしまった。

読んでみて、色々と書きたい事も出て来るのだが
あれやこれやで、とても追い付かない

ま、ボチボチやりましょう。

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