さて、先日は柄にも無い事を書いたが 電波科学誌ネタの続きである。 写真左のページは テクニクスのカセットテープ、XA。 わざわざ音楽専用と謳ってあるところが 時代を感じさせる。 それより右のページである。 カシオの電卓が29,800円也。 関数+プログラムとなっているから 上位機種なのだろうが それでもこの価格には驚くばかりなり。 実売価格が遥かに安かったとしても これは凄いというか時代を感じさせる一品?。
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KA−9300の広告。 DCアンプ、とわざわざ書いてあるところが この時代を覗わせる。 この時のトリオのフラッグシップモデルで 15万円也。 プリメインの限界に挑戦と言う感じで 中はほとんどメインアンプ。 同号ではKA-5300というベーシックモデルが 詳しく紹介されているが 当時のトリオは左右独立電源に執念を 燃やしていて KA-9300、7300に続いて このローコストプリメインも1トランス2巻線で 左右独立を果たしていた。
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70A、60Aは有名だから良いだろう。 同じシリーズで20M、10Eが登場している。 20Mはメーターユニット。 10Eはフリーケンシーイコライザー(つまりグライコ)。 それぞれ5万円と10万円だが 当時からテクニクスがこの分野に 拘っていたのが良くわかる。
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こちらも有名なSP-10U用 プレーヤーベースでSH-10B3。 12kgで7万円。 さすがに純正。ルックスはピッタリだが このプレーヤーベースには問題もあったらしい。 何かというと、SP−10Uを10mmほど下がった所に 落としこむ構造になっているのである。 必然的にアームの根本は高くなってしまうので、 カートリッジによっては どうしても前下がりになってしまう事があった様子。 (註 以上の問題点を指摘されていたのは 長岡鉄男氏だけでした、、。)
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これはご存知でしょうか?。 ビクターのスピーカーFB-7。 なんとバックロードホーンなのですよ。 179,000円(1本)。 米国ホーレー社のコーン紙を使用した 30cmウーファーと ドリップ型イコライザー付き エクスポーネンシャル・ホーンツイーター採用。 975H×535W×560Dと巨大サイズ。 重量56kg。 ジャンクで手に入るなら キャビだけも活かしてみたい一品。 それにしても、当時何台売れたのだろう?。
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DS−50Cと同CS。 30cm3WAYのフロア−タイプ。 当時テクニクスのSB-7000の 対抗馬的存在。 この頃はフロア−タイプのスピーカーが 目白押しであった。 時代を感じさせる。 Cが88,000円。 CSが90,000円。
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テクニクスのセパレートカセットデッキ RS-690。 トランスポート部とアンプ部の 完全セパレートは、確かこの一機種だけ。 298,000円。 当時憧れはしたが 雲の上の存在だった。
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RT-2022。 ユニット化によるセパレート方式で アンプユニットやヘッドユニットを交換出来た。 2022は テープトランスポートユニットRTU-11/2T(210,000円) + アンプユニットTAU−11(39,000円) のセットで249,000円の 2TRデッキ。 ユニット等交換で4TR−2cHにも 4TR−4cHにもなるところがミソ。
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SU−7700(45,800円) と同7300(35,800円)。 サイドtoサイドとは何かと言うと 入力端子は右サイドにあってプリント基板と直結。 出力端子は左サイドにあって、信号は右から左へと ストレートに流れる合理的構造と言う訳。 問題は、果たしてこの方式、実用になったのだろうか? と言う点。 アンプの全幅が420mmとなっているから 内寸500mmのラックに収めると左右の余白は それぞれ40mmづつ。 手が入らなくは無いが、、。 個人的な好みを言うと プリの端子は天板にあると助かる事は助かる。 ただ、これも問題が無い訳ではないので 結局端子はリアパネルが無難という事に なってしまうのだが、、。 という事で「電波科学」ネタはこれにて一応終わりです。
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カセットからMDへのダビングと言うのを 初めてやった。 いや、ただそれだけ。(笑) 音質がどうとかは、今回は無い。 なぜって、音源がコンサートの盗み録りだから。(!) ステレオプレスマンを会場の床に置いて 内蔵マイクで録っているんだから どんな音かはたかが知れている。
僕にとってそれなりの意味がある。 カセットのラベルを見ると 録音日は1981年12月27日。 そう。今からちょうど20年前の録音なのだ。 中味はなぁ〜に?と訊かれたら、 教えて上げるが世の情け。 と言っても、このサイトをご覧の方にご存知の方がいるかどうかは知らない。 パンタ(PANTA)のコンサートの生録である。 ちょうどパンタがPANTA&HALを解散して、 ソロ活動に入り「KISS」というスイート路線のアルバムを出して ファンを多いに嘆かせていた頃のライブ、、、などと言う話しは 興味の無い人にはどうでもよい。 場所は東京は芝にある、郵便貯金ホールであった。 僕は友達と二人で、そのコンサートへ行った。
臭い話しではあるが、音楽が絆となって出逢い 結ばれ、今日に至っているわけだ。 ’81年12月。彼は大学2年生であり、僕は1年生だった。 (あ、一浪したもんで、、) お互い20だったなぁー。 そりゃそうだ。40−20は20に決まっている。
そう12月のクリスマスが終わってから大晦日までの 何日かが比較的好きなのである。 クリスマスと言うイベントが終わり、 にわかキリスト教徒が一夜にして日本人に帰り、 やれ大掃除だ、お飾りだ、餅つきだ、 年賀状だ、と駈けずり廻る数日。 もちろん、今でも好きなのだが 学生の時分は、今よりもっともっと好きだった。 FMでは今年1年を振り返る特集が組まれ、 画に書いたように暇な学生だった僕は それらをせっせと録音しては 1年間のツケを払ってヒット曲ライブラリーの帳尻合わせを していた。 もちろん、後で聴くなどという事は無いのであったが、、。
などというのが暇の証しである。 今ではとても考えられない。 当時は時間があったのだなぁ〜、と 感嘆してしまう。 ともあれ、それから20年の歳月が流れたのである。 僕も、その友人も、それぞれの道を歩み、 僕はあいも変わらず横浜に居続け、 彼は今大阪に住む。 色々な事が、お互いそれなりにあった。 そして、その割には何も変わっていないような気もするのだ。 されど20年。たかが20年、、。 、、、。と、このままではオーディオ日記にならない?。(笑) 一応そのカセットテープは 20年経った今でも、元気な音を出してくれている事を 付記しておきます。 アナログカセットテープって、案外丈夫なんです、、、。 ダビングしたMDは、その友人に送る物なのでした。 「おい、お前、覚えているか?。 20年前のあの日の事を?。 時間が余っていて、秋葉原で時間潰したよな。」 と手紙を添えてね。
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