12月17日

ここのところオーディオをサボり気味である。

年末進行で忙しくて、というのも正直あるが
意図的に音を出していないというのも、実はある。

ちょっと耳をリセットして
また新しい気持ちで音に向かいたいと言う心境か?。

なぁ〜んて言ってたら、某所より“ある物”を入手。

恐縮至極な事に新品のカートリッジである。

ただし、これはフツーに使うだけでは許されない

ある実験をするというお約束付きなのである。

ま、その実験は、既にli○it○dさんや、ボ○ンさんのところで
行われているので、目新しいとは言い難いものなのだが、、。

でも、取り敢えずノーマルな状態で拝聴したい。

剥ぐ”のはそれから。

楽しみ楽しみ、、。


12月19日

時間が取れたのでDV−50A試聴

シェルはオルソニックAV-101b使用。

50Aの自重は4.5g

オルソニックのシェルの自重は16g

何とかギリギリEPA−100でいけるので
SP−10Uのプレーヤーで使ってみる事にする。

音はいかが

いや、これはなかなか良い味を出している。

これで充分。既に自分には過分な音という気さえする。

しかしながら、更に分不相応な高級カートリッジ達と比較すると
やはり、やや大味

狂おしい程のきらめきとか、
底抜けに伸びていく低音とかの表現は難しい?。

ただ、これは決して悪い事とは言い切れず、
リラックスして音楽に向かうという場合には好適

何もかもをさらけ出すと言うのではなく、
どこかビニールコーティングされたような鳴り方だが、
考えてみるとKARAT17D2にもそんな面があり
これがダイナベクタートーンなのかもしれない。
(あくまでも想像)

気安くいい加減な事を書くな、と言われるといけないので
念の為申し添えると
上記の結論を出すのに休み休み一日掛けている。

卸したての新品カートリッジ。
しかも冬と言うこともあって、鳴らし始めは
ちょっと首を傾げるような音だったが
夕方にはかなり良い感じになっていた
と言うのが真相。

さて、しかしこのカートリッジはこのまま使うわけにはいかない

既に一部ではバレバレだが(笑)
この後カバー外しから始まる一連の改造(改悪?)を
するお約束なのである。

壊すだけだから止めなさい、という声が聞こえそうだが
男の約束なのである。

ま、しかし元の音がどうだったか
耳に刻んでおかないといけないのも事実なので
しばらくはノーマルの状態で聴き続ける事になるのであった、、。


12月20日

それにしても、オルソニックのシェル
何気に凄い。

よくぞこんな物作りました、と言いたい。

独特の形は写真でおわかりかと思うが
パッケージに書いてある能書きが又凄い。

ヘッドシェルの内部で振動を2方向に整流し、
その振動を短絡させて打ち消すメカニカルショート・サーキット構造。
内部反射による残留振動を皆無とした無共振ヘッドシェルです。

重量比で最も剛性を高くする骨組構造
シェルの性能を見極める要素である分割振動や
固有共振を全く発生しない理想的な、
静かなヘッドシェルです。

と、薀蓄(うんちく)が綴られ、その効能として

立ち上がり良く、更に余韻感を明瞭に再生。
混変調のない広大なダイナミックレンジと力強い再生音。
歪感のないクリアーな音像と、色づきのないフラットな聴感バランス
広帯域再生。
豊かな重厚感と明確な音像の定位感。

などと書かれている。

そりゃーまぁー良いことしか書かないのが
当たり前
ですが、これは凄い理論武装

同様に、こ難しい事を言いたがるダイナベクターには
ピッタリ
のシェル?。

良くは知らないが、前身にAV-1と言うのがあり
フィリップスからも同じ物が出ていた?
(長岡鉄男の日本オーディオ史2、参照の事)

最高のシェルかどうかはわからないが
取り敢えずDV-50Aとの組み合わせでは
それなりのパフォーマンスは発揮してくれている様子。

今後も楽しみではある。


12月22日

生まれついての性癖というのは
なかなか直らない

僕は古本屋が好きである。

小学生の頃から古本屋に日参していた。

お目当ては漫画本なのだが
その頃から絶版物に肩入れしていたのだ。

そう言えば乗り物も絶版車に目が無かった。

そして今は絶版オーディオを追及している?。

対象は変われども、やっている事は大差無い


古本屋は、まずその匂いが圧倒的に好きである。

古書特有の匂いが堪らないとなると、
これは立派なビョ−キ持ちである。

しかも、いわゆる書物よりも雑誌が好き。

古い雑誌を見ると、一瞬息が止まってしまう。

ズラっと並んでいる雑誌のバックナンバー
全部買い占める事が出来たなら、
どんなに幸せだろうかと想像してしまうのだ。


そんな話しはさて置いて
先日もとある古雑誌を手に入れた。

電波科学」の’76年9月号である。

パイオニアM-22の詳細が載っていたので
一も二も無く手に入れたのだが
後で考えてみると、
この’76年夏(9月号は8月に出ているはずだ)
と言うのは、僕にとって特に思いで深い
ワンシーズン
であった。

いやいや、と言っても大した事では無いのだが
その年の夏が、僕の第一次オーディオ狂いの
始まり
であったのだ。

まあその頃は、飽きもせずオーディオ誌を
暇さえあれば読み続けていた

とは言ったって週刊レコパルを買うのが精一杯
(当時中学3年生
それを朝な夕なに読み続けては
頭の中で立派なオーディオを組み立てていたのである。

個人的な想い出は語り始めると
キリが無いので止める
ページを開くと懐かしさに目頭が熱くなってしまった
事を告白しておく。

ちょっと一緒に、中を覗いて見ませんか?。

まずは、これ。
ビクターの生録デッキKD-4の広告。

どうですか?。あなたも涙がこぼれませんか?。(笑)

当時は本当に生録ブームでした。

同誌の連載記事にも
及川公生の音録り噺」なんてのが
しっかり載ってます。

大井川鉄道に、SLを録りに行っている、、。(汗)

それにバイノーラル録音もブームだったようで
後扉の広告には
ビクターのバイノーラルステレオヘッドホンマイク
HM-200の広告が載っているくらい。

更に「国内の話題」のページに目をやると
7月17日(土)「音楽ってなんだ!
(パーソナリティみなみ らんぼう)が
バイノーラル放送されたとなっている。

ああ、なんて凄い時代なのでしょう。

ところで、KD-4ですが当時79,800円

SA(センアロイ)ヘッド搭載
スーパーANRS(アンルス)採用
DCコアレスモーター。

そこそこ売れた機種と記憶しています。

スキャンしたわけでもなく、デジカメでいい加減に撮った写真
なのでわかりにくいですが、カセット収納部が
右側にあるのが当時からのビクターの個性


他社とは逆ですが、この方が理にかなっていると言う説もありました。

以下続く


12月23日

スキャナーとかで撮ろうとすると
雑誌が痛んでしまう
そこまでの手間を掛けたくないので
必然的に画像はイマイチになるのをお許し頂きたい。

パイオニアM-22の広告である。
右片隅に、ペア−となるプリアンプ
C-21が小さく写っているのがご愛嬌。

しつこいようだが、このパワーアンプには憧れた

当時は写真でしか見なかったのだが
とにかくルックスの良いアンプという事と
ピュアA級30Wというのが
何とも格好良く感じられたものだった。

いつかは、、、と思ってから入手するまで
20年も掛かってしまった、、。

同誌ではM-22が詳しく取り上げられていた。

回路図その物は既に持っているので
珍しいとは思わなかったが
それでもパイオニアの技術者の
詳しいコメントなどは嬉しい限り。

それにしても、見るほどにこのアンプ全体の構成
HMA-9500に似ている

もちろんM-22が先発でHMAが後発なのだが
日立はこのアンプを模範にして9500を作ったのではないかと
勘ぐりたくなる程だ。

ヒートシンク、電源トランス、コンデンサーを
シャーシ上にシンメトリカルに配置したデザインは秀逸で
両者そっくり。

それでいて、男性的な9500に比べて
実に女性的なデザインのM-22と両極にあるのも
面白い。



12月24日

クリスマスがやって来た。

僕はクリスマスが嫌いです。
(あ、ちなみに宗教的に否定とかそんなんじゃあないので
念の為ですよ)

何故って、僕が従事しているようなサービス業というのは
クリスマスのお陰で、この時期やたらと忙しくなってしまうので、、。
(ま、忙しいのは結構なことなのでしょうが)

だからと言って、僕一人がクリスマスを嫌ったって
世の流れは何も変わりません。(笑)

いつの頃からか
クリスマスは恋人達にとって大切なイベントの日になってしまったり。

やっとその重圧から逃れたと思ったら、
今度はクリスマス=家族で過ごそう
みたいな妙なプレッシャーがあったり。

本来の聖なる夜はどこへ行った?と言いたいが
今更仕方ないか、、。

クリスマスと限らず、世を挙げて一つのイベントを
まるでマインドコントロールのように刷り込むのは
止めてくれと言いたい人は僕一人ではあるまい

恋人からも、家族からも遠く離れて暮らす人
却って孤独を感じてしまうのではないだろうか

もちろん、それは無駄な事では無く
何かを見つめ直す大切な一時なのかもしれないけれど。

そうだ。祭りの後の静かな一時
じっと物思いをしてみましょう。

ここで話しはころっと変わるが「ケイコリー」である。

僕は本当にソフトがさっぱり増えない人で、
CDを買うなどと言うのは一大イベントである。

理由はと言えば貧しいからなのであって
あんまり誉められた事ではない

中学生の頃は、誕生日とクリスマス
LP一枚買ってもらえるのが
唯一無二に近いソフトゲットのチャンスだったが、
大人になった今もCD買うのが一大事になっているようでは
先が思いやられる。

で、ケイコリーの「ビューティフルラブ 」というのは
今年お金を出して買った貴重な一枚。

既に古いタイトルではあろうが
SACDとの聴き比べをするべく、通常盤を買ったのでした。

さて、でもこのCDは良いですね。

音もいけるが中味がよろしい

珍しく歌詞カードをちゃんと見ながら
曲を聴いてしまったりする。

訳詞がついているので助かるが(笑)
僕が一番好きなのは11曲目の
LOVE IS ALL THERE IS

ケイコリーが曲を書き
作詞はリンダ・ヘンリックだというこの曲。
実は9月のアメリカでの事件の後
一人で呆然と聴き続けていました。

HPで取り上げたいな〜と思いつつ時は流れ、、。

ま、何となく個人的にはクリスマスはこんな曲を聴いて過ごしたい
との思いで訳詞を転載させて頂きます。

それがどうしたと言われると
別にどうもしないのだけど、
ま、一応クリスマスだし、、。(あれ?矛盾?)

なんであれ、皆さん安らかな一時を、、。

ラブ・イズ・オール・ゼア・イズ

その危険を知ることもなく
人生はゲームだと言う人がいる

自分が見逃している豊かさを知ることもなく
富や名声を捜し求める人がいる

ありのままの自分であるために
なんでゲームなどする必要があるの?

手を伸ばして誰かの心に触れるために
なんで富や名声が必要なの?

こんなふうに感じているなんて
私はバカだとあなたは言うかもしれないけど

もし誰かが私のことを愛してくれるなら
わたしは自分の持っているすべてを捧げるわ

わたしが信じているのはこのことだけ
世の中悪いことばかりじゃないと思うようになったとき
愛を持っていれば 見逃すはずなんてない
愛はそこにある全てなのだから

愛は天と地を動かし
魂に霊感を吹き込む

愛は人生最高の贈り物
銀や金よりはるかに貴重なのよ

愛はひどく見付けにくいけれど
実にたやすく与えられる

愛し愛されることが
私たちの生きる理由なのだとわかったら

夢見ていることすべてが実現しなくても
人生に真実の愛があれば
必要なものをすべて持っていることになるのよ

(訳 沼崎敦子)

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