5月30日 未明


とんでもない訃報が飛び込んで来た。

長岡先生が亡くなられたと言うのだ。

何かの間違いであって欲しかったが、続々と集まって来る情報は、それを裏付ける物ばかり、、、。

こんな物を書いている場合では無いと言う気もするのだが、さっぱり眠れそうに無い。

呆然とキーボードに向かっていると言うのが本当のところなのだ。

氏との出逢いについては、オーディオ思いで話しにも書いたが、かれこれ20数年前になる。

出逢いと言っても、多くの人がそうであるように、誌面上での出逢いである。

別冊FMfan11号で、その存在を知った。

何に惹かれたかと言えば、氏の文章に惹かれたのであろう。

以来、今日に至るまで、その文章には魅了されっぱなしである。

特にオーディオを再開してからは、氏の書いた物に触れない日は無いという感じだった。

もう、新しい文章を読ませてもらう事は出来なくなってしまった訳だが、きっと、これからも毎日、膨大な氏の遺産を拝読し続けるだろう。

生き方も素晴らしかった。

ケチを自称していたが、もちろん貧乏ではなかった。

荒稼ぎもしなかった。

やれば出来ただろうが、引き換えに失う物も大きい事を良くご存知だった。

欲との付き合い方というものを知っていた、と言い換えても良い。

本当の意味で、経済観念が発達していらっしゃったのだ。

だから方舟も建てられた。

あれは直接の収入ではなく、財テクの賜物である。

お金はお金に稼がせておけばよい、と言うスタンスがあったのだろう。

見習わせて頂きたい。

氏の音を、直接聴く事はとうとう無かった。

今年中に、一度は方舟詣でを、と思っていたが手遅れになってしまった。

どんな音なのか、ずっと想像をして来た。

馬鹿か、と言われそうだが、オーディオに向かえば必ず、「長岡先生の所では、どんな風に鳴っているのだろうか?。」と想像するのが癖になってしまっているのだ。

 

結局、これからも想像し続けるのだろう。

それで良い事にした。

想像の中で、僕にとっての“長岡サウンド”は永遠に鳴り続けるだろう。

同じ音を出そうとか、そんな事では無く、あくまでも“僕の音は僕の音”なのだが、それでもきっと心のどこかで、“見えない何か”を追い続けてしまう。そんな可能性はある。

以上は僕の勝手な悼辞である。

これ以上、今は何も言えない。

ただ、ご冥福をお祈りするばかりである。


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