ちょっと忘れていた、と言っては失礼だが
4月に書いてそのままになっていた物があった。

TOKYO FM 開局30周年に向けての物だ。
没にするのも勿体無いので、
今更だけどアップします。

FM世代には共感してもらえるかも、、、。


ここで、ちょっと違う話しをさせていただこう。

最近、会社の営業車が一台入れ替えになったのだが、新しいその車には、FMも聴く事の出来るカーステレオが付いていたのである。

今時AMラジオしか聴く事の出来ない車の方が珍しいだろうが、営業車みたいに最低グレードを使う世界では、常識的な事。

助手席のサンバイザーが無くて、夕日に向かって走っていると、運転手以外は地獄を見る、とかシガーライターは付いているのに灰皿は無い、とかが当たり前の世界なのである。

ちょっと前までは、エアコンだってついていなかった。

(さすがにヒーターの付いてないのは無かった。、、、まあ、そんな車は、初代スカイラインGT−R位なものか。)

そこで、いきなり営業車のカーステレオのグレードアップに走った、と言うのは冗談だ。私もそこまで暇ではない。

まあ、何となくFMを聴く機会が増えたわけだ。

そんな事でもなければ気がつかなかったのだろうが、TOKYO FMが開局30周年だとの事。

もちろんFM東京の昔から数えての事である。

それで特番が組まれているのだが、いやはやなんとも懐かしい物のオンパレード。

思わず涙ぐんでしまった、と言っても決してオーバーではない。

思い出話しのコーナーをお読みいただいた方はすぐわかるが、私は思いっきりFM世代。と言うか、FMの最盛期を体験している世代の一員である。

物価のスライドから考えると、20年前、レコードは今より遥かに割高だった。

レンタルショップというのも無かった時代、FMは貴重、かつ高音質な情報源であった。

だから、聴いている事自体が、何となく格好良かったし、真剣になって録音もしたものである。

しかし、CD、及びCDレンタルショップの普及で、FMは転換点を迎えた。

FMが貴重な録音源であった時代は、DJの喋りが曲にかかったりしようものなら、即クレームものであったが、J−WAVEが台頭した頃からスタイルは一変。

絶え間無く流れる曲にDJの喋りが乗る、と言う、アメリカの放送局のような形が主流になり、今日もそのスタイルが続いている。

オーディオ日記にご登場いただいた、群馬のKさんも、私とほぼ同世代であり、FM受信に関してはかなり頑張った経験をお持ちでいらっしゃる。

お手紙をやり取りした中で、多素子のアンテナを建てて、ブースターまで使って受信をしたが、FM東京は、それでもノイズ混じりだったと言う一節が印象的だった。

当時は地方局の開設もまだまだで、意地でも東京タワーからの電波を捕まえるしかなかったのである。

そんな経験をお持ちのKさんは、更にその手紙の中で、

「FMが、“単なる音の良いラジオ”になってしまった現状は淋しいばかりです。」、と書かれていた。

全く持って同感である。

当時僕らが、いかに真剣にFMに耳を傾けていたか、いくら語って聞かせても、体験していない世代には伝わる筈もない。

東京近辺にいても、たった2局しか放送局はないのである。

その、たった2局の番組表をじっと見つめ、マーカー片手に、どの番組を録音しようか眉間にしわを寄せて考えていた。

今思えば、ばかげた話しである。

しかも、そのたった2局のために、屋根の上に高々とアンテナを掲げ、場合によってはローテーターでそれを回転させ、人によってはアンプやスピーカーより高額なチューナーを用意し、更にその前の世代であればオープンリールまで回していたのだ。

以前会社にいた、福島県出身の上司が、学生時代FM東海聴きたさに、夜になるとラジオを持ってスーパーカブで、近所の山のてっぺんに上っていた話しを聞かせてくれた事があった。

延長用のアンテナを繋いで立てると、かすかに聞くことが出来たそうである。

星空の下、ラジオを抱えてスーパーカブで裏山を駆け上がって行く少年。

なんとも画になるではないか。

まだまだメディアが発達途中であった、古き良き時代の物語として、子孫に語り継いでいかなければいけない?。

僕はそこまでやらなかったが、親に頼んで5素子くらいのアンテナを屋根の上に立ててもらった。

(丘、どころか山の上にあるような家なので、受信環境としては最高であった)

渡辺貞夫の、マイディアライフ。小室等の音楽夜話。“今晩は、あなたの素子、高橋素子です”、のユアポップス。

羽田フライトインフォメーション。こーせーこーせー、歌謡ベストテ〜ン。

だーいやとーん、ポップスベストテーン。

すってれお、トリオ〜、(3時です、ポーン、で録音レベルの調節をしろ、と書かれていたので実行したなー)。

森田健作、ひとつぶの青春。レコパル、音の仲間達、広川太一郎です。

“今晩は、ヤングジョッキーの、渋谷陽一です。”

あ、これはNHKだった、、、。

いや〜、書いているだけで、涙がちょちょ切れそうになって来た。

ラジオドラマもよく聴いた。

まあ、全ては過去の出来事。

今日は立ち寄った部署が、FMをかけっぱなしにしていたので、しばし耳を傾けた。

(ちょうどTOKYO FMが流れていたのである。)

特番で、懐かしい番組を振りかえるコーナーだったりしたので、僕はどんどん引き込まれてしまったのだが、そこにいた女の子いわく、「ここのところ、変な番組ばかりで退屈だ」、との事。

まあ、そうかもね。

ついつい、FMというメディアが、昔、いかに熱いものであったか語って聞かせてしまった。

当然、意志の疎通は出来なかったが、彼女がこんな事を言った。

「昔の番組って、静かですよね。」

つまり、けたたましくない、と言う事らしい。

なるほど、今のノンストップ番組に馴れてしまった耳には、かなりおっとりと聞こえるだろう。

それが好ましい、とも言った。

今の放送は、何を聴いていても、なにか煽りたてられているような気がする、と言うのだ。

なるほど、と変な所で感心してしまった。

時代は流れていく。そして、年々スピードアップしている。

僕も僕で、気がつくと随分忙しいではないか。

夏休みや、年末年始、何日か続けての特番などがあると、それを完全収録して、綺麗にパッケージまで作っていた学生時代の、あの漫然として、かつ、ゆったりとした時の流れは何処へいってしまったのか?。

いつの間にやら、我がオーディオ装置から、チューナーもデッキも外されてしまっていた。

なぜって、聞く時間が無いんだもの。

それで良いのかもしれない。今でもFMの録音し放題、などと言っているようでは、年齢からして、いけないのだろう。

ただ、いつも何となく、FMと言うのは気になる存在なのである。僕にとっては、、、。

(アンテナだけは依然として立ってはいる)

だから、もう少しだけ時間が経ったら、今一度チューナーやデッキを組み込んだシステムも組みたい。

チューナーは、そう、そうしたら、やっぱりケンウッドのL−02Tしかないか、、、。

(中古で15万くらいかな?)

録音はやっぱりカセットデッキ。

そうなるとナカミチの700か?。

(デザインが秀逸)

いかん、また物欲、妄想モードに入ってしまった。

全く意味は無いではないか。

 

この辺で、いい加減にします。

あらためて。TOKYO FM様、開局30周年おめでとうございます。


今もアンテナだけは、建っている。
(数年前に老朽化でアンテナ丸ごと倒れて
その時勝手にFMは3素子にグレードダウンされてしまった。)
でも、ケーブルの先はどこにも繋がっていない。

もう、すぐそこまでケーブルテレビが来ている。
今更アンテナでもないか、、、。





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