4月の話しはまだ続く。
ここで一旦、サウンドクリエイト帰りに立ち寄った、
山本さんのスタジオへと、時間と場所を移す。


ロジャースの話しはさて置き、ここで山本さんの音を聴かせていただく事と

相成った。

前回の訪問から、さして日は経っていないのに、

山本さんの装置は、プリが交換されている

オーディオカレントの、パルティータC1から

パスラボのX2に変わったのだ。

正直言って、この辺の型番には疎い。何がなんだかよくわからない。

が、型番なんかわからなくても、音は聴ける。

まずは前回も拝聴したCDから。

、、、。まあ、僕はそんなに物覚えのいい方ではないから、

前回のサウンドを完璧に覚えているか、と言うとそんな事は

無いのだが、それでも変化がわかる。

と言う事は、当の本人にしてみれば、相当な変化だろう。

僕のコメントは、こんな感じ。

「装置から音が出ていると言う感じが、更にしなくなった。」

だから、視界の中に、特にスピーカーが入って来るのが堪えられない。

目をつぶって聴かないと、違和感が凄いのである。

意味が伝わるだろうか?。

装置から音が出ていると言う感じが無いのにもかかわらず、

そこにはオーディオ装置があるのである。

なんとも妙な感じだ。

そんな風に変化はしたが、根本的には“山本サウンド”である。

相変わらず、音はスピーカーより奥へ奥へと広がっている。

(多少は前にも出るが、眼前まで迫ってくるなどという事はない)

山本さんの音を拝聴するのは2回目なのだが、僕は思わず、

「山本さんと言うのは、自分の“美意識”という物を、

強く持っているんだな〜。」と心の中でつぶやいてしまった。

(カメラマンだもの、当たり前?)

スピーカーの置かれている辺りから向こう側が、山本さんにとっては

ステージなのではないだろうか?。

そこに自分のお気に召すものを存在させて、特等席からそれを眺める。

それが山本さんのスタイルのような気がする。

(違ったらどうしよう?)

まあ、音だけずっと聴いているわけでもない。

その合間に交わされるオーディオ談義が、また楽しい。

僕がHMAを幾らくらいで入手して、それを幾らくらいで修理出来たか

報告したら、我が事のように喜んでくれた。

僕も、より一層嬉しい気持ちになる。

話しは更に、色々な所に飛んで行く。

昔山本さんが作った、D−5や、その後使っていたD−7の話し。

(YAMAHAの0506ツイーターは、本当に美しい音がする、と

繰り返し述べていた。僕もそろそろ本気で捜そうかな?)

初めて自作スピーカーから、ロジャースに変えた時の話し。

特に二人が盛り上がるのが、アナログ関連の話しで、アームは

眺めているだけでうっとりする、などと言う会話で頷き合う様は、

知らない人が聞いていたらかなり不気味だろう。

FR−64sが好いだの、ダイナベクターが何処そこにあるとか、

ガラードがどうしたとか、ウェルティンパードのプレーヤーも良いとか、

両者共、かなりのビョ−キ持ちである。

ことさらに盛り上がるのがケンウッドのアナログプレーヤー、KP−1100

及び9010の話し。

僕も山本さんも欲しいのだが、山本さんは過去において1100を使っていたので、その思いはひとしおの様だ。

この辺りからは完全に妄想モードで、お互い1100か9010を手に入れたら、どう使いたいか等と語り出すと止まらない。

同シリーズの場合、ユニファインド アルミ ダイキャストフレーム、という物を採用しているので、いわゆる木製のキャビネットは飾りのような存在。

そこで、キャビネットを外してしまった仕様を作りたい、と言うのが奇しくも二人の共通した考え。

僕はブラックのアクリル板を貼り合わせて、ノーマルの木製キャビネットと同寸の箱を作り、うっすらと内部が見える仕様を作りたいと考えている、と語ったら、

「鳴きが出るんじゃない?。」と突っ込まれる。

いっそのことアクリルの積層合板くり貫き仕様はどうか、などと言われるが,

そりゃあ、無理な相談だ。

山本さんは、どうやら二本アーム仕様を作ろうと目論んでいる様子。

(僕のダイナベクターはあげないよ、ガラードと組み合わせるんだから)

二人して、じゃあ電源トランスとか、電源パーツはセパレートにしてしまおう、とか、スイッチ類はどこにつけるんだ、とか語り合う様は、夏休みの工作に何を作るか、熱く語り合う小学生と何ら変わらない

その内に、二人の競作、ケンウッド改造コンテストが開かれるかもしれない。

その時はHPにアップして、皆さんに投票でもしてもらいますか?、山本さん。

ここでアナログも拝聴する。

CDだけ聴いていると、それで十分なのだが、アナログを掛けると、その圧倒的なトランジェントの良さに圧倒される。

バーンっと来る立ち上がりの凄まじさは、なぜかCDからは得られないものだ。

まあ、デジタルでも3〜400万くらい注ぎ込めば何とかなるらしいが、随分割高な話である。

こんなに素晴らしい装置があるのに、ケンウッドが欲しいなどと、山本さんも随分欲張りな人だ。

(と、俺にだけは言われたくないだろうな。うん。)

そんなこんなで日も暮れる。

放っておいたら、二人とも、きっと夜中までやりあっていただろう。

ただ、その日は私のほうに、ちょっとした用事があったのでおいとました。

暮れなずむ街。行き交う人々の間をすり抜けながら、さて、ロジャースとは上手くやって行けるのだろうか?、と少々心配な、この時の私であった。

それにしても、山本さん。

その後すぐ、あんなにも早くケンウッドが僕たちの前に現れるなんて、思いもしなかったですよね、、、、。

と、言う所で、今回はここまで。


あれっ、これは一体なんでしょう?。


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