2月5日

いけないいけない。
訪問記が二ヶ月に渡る様では怠慢といわれても仕方ない。

みゆきさん宅でのお話しは続く。

つづく…

のだが、写真をご覧頂いておわかりの通り
登場する機材だけでももの凄い

marantz#7は正に氷山の一角だった訳で(汗)
線路は続くよどこまでも、ならぬ、話しは続くよどこまでも、
なのである。

実際問題この日のみゆきさん宅ではプリアンプは
本当の主役ではなかった(筈だったが)

パワーアンプが…

え〜何セットだったっけ?(笑)

あって、それらとレビンソンプリの掛け合わせとか何とかいう
話しだったはずだが、扉を開けると
プリだっていっぱい待っている訳で、それらを順列組み合わせで
掛け合わせて行くとなると、
間違いなくお日様は一旦沈んで又昇って来るに違いない

掛かる。

プリにML-1LC22#7がオリジナルにレプリカ。

パワーにMC-2205Aleph 2が登場。

実際のところお部屋には他のアンプもゴロゴロしているんのだが
今日はとりあえずこの辺で勘弁してやろう”というみゆきさんの計らいで?
上記ぐらいで止まった。

と言っても、こりゃオールスター夢の饗宴であって、
フェラーリ、ランボルギーニ、ベンツにBMという感じで
何がどうしたって文句のつけようが無い。

これらを取っ替えひっかえしてあーでも無いこーでもない
とやるのだから、ある意味凄い贅沢で不謹慎?な話しである。

確かに、このメインだとこのプリが良いね、とか
これを聴くならこの組み合わせだね、
なんてことはある。

しかし、それはまあ、サーキットに持ち込むならフェラーリが良いけど
東名を走るならセルシオの方が僕は好きだね、
とか言っているのに等しい感じで、
車に口がきけたら「言いたいこと言ってんじゃねーぞ、君たち」
くらい言うだろうという世界である。

改めて、プリの支配力の強さにも感嘆するが
パワーは関係無いのかというと
やっぱり関係がある訳だ。

と、これじゃあ感想にならないので一応のコメントをしてみると、
やはりマランツ#7の偉大さというのはあるということ。
(オリジナル、レプリカはあまり問わない)
それからマッキンというのもつくづく大人なのだということ。

レビンソンには良い意味で狂気を感じるし
それらの違いを克明に描くダイヤトーンの偉大さもひしひしと感じた次第。

いやいや、恐ろしく“濃い”ワンデイでありました。

2月24日

濃い日旅立ち…

という唄は無かった。

あれはいい日旅立ちだった。

濃い一日のお話しのエンディング。

ダイヤのDS-301に、この日もご登場頂いた。

メインの3000ももちろん良いが
301もこれまた良い

考え見ると自分も同じ物を手にいれてそれっきりである。

オーディオやりたいな〜と痛切に思う今日この頃だ。

こらえている物が爆発すると後が恐い。

そろそろだろうか?

…という僕の話はどうでも良くて、
この日の301も幽体離脱が激しくて、
まあ偉いスピーカーをダイヤはとっくの昔に作っていたもんだ。

マランツ他欧米も偉かったが
日本には日本で素晴らしい物がとっくにあった。

ただ、その当時その真価を発揮させるだけのアンプや
周辺機器があったかどうかというと
まあ無かったかもしれない。

40年近く後に真価を改めて確認する。

オーディオとはなんと高尚な趣味であろうか。

僕はそういう物に出逢えた事を誇りにしたい。

その昔はCDも無かった。

マランツも、マッキンも、レビンソンも
そしてダイヤも、長生きしたから新しいご飯も食べられた。

それで幸せに思っているかどうかはわからないが
一切我関せず普通に鳴らしているのだから凄いもんだ。

iPodも繋いでみたが充分な音で鳴る。

これも逆の意味から凄い

何しろ超本格的装置に繋いでいるのである。
ボロが出ても不思議ではあるまい。

しかしそんな心配は無用の感じ。
伊達に21世紀生まれではありません”と
名器の前で胸を張っている様にすら見えた


お陰でみゆきさんまでiPodが欲しくなったようだが
その後どうされたかな?

なぁ〜んてもっともらしい事を書いたが
所詮マニアというのは変態で?ある。

良い音、良い音楽だけを楽しんでいれば良いのだが
そんなまっとうな事だけでは終わらない。

上にある段ボールはなんだ?

そう、マッキンC22の元箱なのである。

単なる段ボールもここまで来ると立派な骨董品である。
オークションにでも出せば良い値が付くだろう。

(もちろん大金積まれても出さないのがマニアなのだが。苦笑)

大の大人が四人。
くんくんと段ボールの臭いを嗅いで
“当時のアメリカの臭いがする”などと悦に入っている様は、
まさに病気以外の何ものでも無く
あずかり知らぬ第三者がのぞき見たら
顔を引きつらせるか警察に通報するかのどちらかだろう。

その意味でもマニアの集いには鍵の掛かるドアー
絶対必要である。

後になり私はこの風景を、みゆきさんのご家族に
覗かれはしなかっただろうかと不安になったものだが
それこそ後の祭りというものである。


ということでみゆきさん宅訪問記は以上。

そうこうする内に二月ももう最終コーナーを回った。

何やら明日はまた楽しい事が待っていそうな気配が…


楽しみでございます♪


(詳しくは日記でアップします)


2月26日

人生は思ったより短い。
だから急げと急き立てる声がする。

しかし、時々その一方で
もう少し丹念に生きなさい」という声もする。

丹念に生きると言ってもさほどの事ではない。

そう、例えばお膳の上の汚れたお皿をシンクに運ぶとき、
嫌々ではなく対象に対して関心をもってとか、
お菓子を取り出した後の包装紙を
取り敢えず小さく、出来れば綺麗に畳んでみるとか
そんな事だ。


妙に神妙な書き出しになってしまった。
これも“大人”なピープルと一日を過ごしてきたからかもしれない。

と言ってももちろん具体的にそんな話しをしてきた訳ではない。
会話の99%はオーディオの事でしかない。

しかし後刻その様な事を考えさせる、
いわばトリガーの役割を知らずに果たしてしまうところが
“大人な”ところでは無かろうか。

という前振りとほぼ関係なく
鎌倉物語は始まる。


2月28日

鎌倉

よっしー宅から鎌倉はそんなに遠くない。

しかし、実際問題鎌倉に足を運んだ事がどれだけあったかというと
あまり記憶にない

遠足、とかで大仏様を見たこととかは覚えているが
遥か35年くらい前のお話しである。

某私立高校の受験に行ったことがあったっけ。
しかしそれも30年くらい前の事だ。


でも、改めて鎌倉とかは行ってみるのに良いところだと思う。

その際は車で、ではなくて、やっぱり電車で行って歩きが良いのだろう。

あるいは近隣まで車で行って停めておく。

もっとも、確か鎌倉ではそう言う方法を推奨している筈だ。


絵になる街。あるいは話題にされる街というのもあれば
相手にもされない街というのもある。

鎌倉はもちろん前者だ。

画像を取り上げたのは「鎌倉ミステリー傑作選
河出文庫刊。

特に傑作選だとは、正直思えないのだが
鮎川哲也さんが一編含まれていたので買った。

鎌倉在住だった鮎川さん。
僕はファンで、以前オーディオ日記でも取り上げた事がある。

傑作選であるかどうかは読者それぞれが判断すればよいが
取り敢えず鎌倉というのは、こんな風に舞台に選ばれる街なのだ。


…などとわかったような事を言いつつ、
きちんと探訪した事がない。
せっかくだからそろそろ鎌倉を歩いてみたりしても良いな、と
柄にもない事を思ったものだから
直接はオーディオに関係ない、こんな文章を今日は書いている。

鎌倉と言えば忘れられない想い出が一つあった。

出不精のよっしー家が、その昔何を間違ったか
鎌倉に出掛けた
事があった。

これも35年くらい前の事だったと思う。

よっしーの父は偏屈なので
まず一家でお出かけなどという事はなかった。

だからちょっとした外出でもこの様に記憶に残るのだが
正直言って一緒に出掛けて楽しいという想い出が一度も無かった

だから、幼い頃から、“どこか連れてって”と言った記憶がない

こんな親父と出かけるなんてまっぴらゴメンと子供心に思っていたのだろう。
それに大体出掛けると喧嘩になり、嫌な想いを抱えて帰宅するのが関の山。

鎌倉の記憶というのも、実はその類のものである。

よっしーの父のどケチ振りというのは桁外れであり
長岡鉄男なんか足下にも及ばない位、筋金入りのケチである。

鎌倉に行ったは良いが、あの種の所というのは
ちょっとお寺とかに入れば拝観料というのが掛かる。

掛かると言っても当時でせいぜい20円とか30円とか50円とか
そんなものだったと思うのだが、
なんとどケチ親父は、それを“勿体ない”といって
全然どこにも立ち寄ろうとしないのである。

これには幼心にさすがに呆れた

だったら最初から出掛けなければ良かろうと、子供心にも思う。

一事が万事この調子だから、出掛けて楽しい筈がない。

“だったらあんたは来なくて良い”、と言いたくもなる。

およそ家族を幸せにしない男
それがよっしーの父である。

当年83歳。

憎まれっ子ほど長生きするものである。


続きはこちら

一つ前の日記に戻る

日記のMENUへ

表紙へ