10月2日

とっても珍しい事だが、「ステレオサウンド」誌を購入した。

高価な本なので滅多に買わない。
大抵立ち読みで済ませるのだが、厚くて重いので
腱鞘炎になりそうになる。

雑誌社も立ち読みする人の健康まで考えて本作りをして欲しい、、、。

などという戯言はどうでも宜しい。

何故に今回は買ったのか?、というと
リビングオーディオのすすめ」、という柳沢先生の文章(提言)に
大変そそられるものがあったからだ。

発売中の雑誌のお話しだから、詳しく知りたい人は
もちろん現物を購入された方が良い。
P336〜339に掛けて、この「リビングオーディオのすすめ」は掲載されている。

柳沢先生が偶然出会った、高校のご学友
呼び止められ、ご自宅に立ち寄ったという、日常の出来事からお話しは始まる。

招かれたそのお宅のリビングにはミュージカルフィディリティのアンプとCD。
そしてハーベスのHLコンパクトからなる小粋なオーディオ装置が置かれていた。

ご学友は、その装置を「本物のオーディオ」、と呼び大変気に入っていらっしゃるご様子。

ご自分のシステムを、「本物のオーディオ、本物のオーディオ」と
嬉しそうに可愛がっている。

その一方で、柳沢先生が専門誌(オーディオの)に執筆されているのも
ご存じなので、「専門家に聴かせると笑われるだろうけどね」、と言い、
「柳沢たちのは、もと凄い機械なんだろ?」とも訊ねられたりもしている。


無趣味で、およそ音楽ともオーディオとも縁遠い存在だったはずの
旧友の発する、「本物のオーディオ」の言葉に
思わず口元が緩むのを噛み殺していた自分を反省しつつ
ここで柳沢先生は常々考えていた、ある思いに改めて焦点を合わせる事となった。

やたら音を求めるばかりに複雑化巨大化をして
暮らしの場である普通のリビングルームには全くそぐわなくなってしまい勝ちな
オーディオ愛好家”の装置達。

それはそれで否定される言われのあるものでも無いのだが、
どうにも生活に馴染まない存在である事は否めない。

結局見渡してみれば、前出ご学友のようなスタンスで
オーディオとつき合っている方はごく少数派で、
現実には玩具に近い装置でいいや、と割り切ってしまった層と、
もはや興味の薄い人から見れば、“良くやりますね”と
感嘆とも軽蔑ともわからない言葉を貰ってしまいそうな
大袈裟な装置を持ち込む層に二分化されてしまっているのが
今の“オーディオ”を取り巻く環境なのではないかと、
改めて思い至り、柳沢先生はここで“砂漠化”、という言葉を使われている。


せっかくの名文を中途半端に引用して解説するのはこれで終わりにしよう。

とにかく僕はこの4ページを持って帰りたくて“高価な”
ステレオサウンドを購入したのだ。

ここでもう一つ、既に2回くらい引用しているのだが、
私の古くからのオーディオ仲間であるKさんの言葉の
三回目の引用をさせて頂く。

”近頃のオーディオは、あまりにも科学的考察が不足し、
代わりにカルトじみた手法の物(特にアクセサリー類)が多すぎると思います。
理屈だけで音が良くなるとは思いませんが、
やはりシャープのように新しい物
(註、ΛΣ方式の新しいアンプの事)
に挑戦していかないと、、、。

最高の音を出すためには、フロア型SPに
マークレビンソンのモノラルペア
」では、浮世離れが加速
結果的にはオーディオが衰退するのではないかと心配しています。

そのような流れも否定しませんが、
「小さくても良い音を出すための努力」、をしないと、
音に配慮の無いミニコンと、人に優しくないピュアオーディオ
になってしまうような気がしてなりません。”

、、、4年くらい前の夏に頂いた手紙の中の一文なのだが
今でも時々思い出してはハッとさせられるお言葉だ。

今回も柳沢先生の文章を読みながら、Kさんのこの言葉を
思い浮かべてしまった。


時々オーディオ仲間で語り合う時に
“どうしてオーディオという趣味はこんなにも衰退してしまったのか?”、
“どうしてこんなに楽しい事をやる人が少なくなってしまったのか?”
というお題が出る事がある。

僕としては、どんな趣味でも分野でも、本当に好きな人は
100人に一人くらいしか居ないものだから、
全盛期には何万と居た“ファン”、があらかた退場してしまうのは
これは当然至極の事だと思う。

要するに、“本当に好きな人はそもそもごく少数しかいない”、
という理屈だ。

これは正論だろう。

それにしても、過去を振り返って別冊FMfan月刊ステレオ
バックナンバーなど見ると、確かに“普通の人”がせっせとオーディオを
やっていた事が偲ばれる。

これらの人は今一体どんな装置で音を聴いているのだろう?。
大多数がミニコンポで由としてしまっているのではないだろうか。

何故にそうなったのかと言えば、いくら趣味の世界とはいえ
ただひたすら頂点を目指して登るだけで、
丁度良い、落としどころ”を模索する事は一向になされなかった
からではないかと考えざるを得ない。

小型スピーカーはあくまでも小型スピーカー、
やっぱり究極は大型スピーカーで、、、、。

10万円のアンプよりは50万円のアンプ。
しかし、その50万円も100万円には敵わない、、、。

良い音が欲しければ、結局床の強度が必要で、、、。

音は重量に比例する。やっぱり重い機械は良い音がする、、、。

良い音のする機械は発熱も凄くて当たり前、、、。

どれもこれもごもっともだし嘘ではない。
しかし、これはもう果てしなく止めどもない世界である。

汲めども尽きず、“延長延長”で、果てしなく追加料金を
払い続けなければいけない
店に踏み込んでしまったみたい?だ。

“もう付いていけません。お暇を取らせて頂きます”、
とほとんどの人が引いていったのも無理はない


趣味というのは義務ではないので、
やるもやらぬも本人の勝手
ましてや、目を覚まして?まともな世界に戻っていった人を
もう一度呼び戻そうなどとは大きなお世話以外の何物でもない?。

結局どうしたって、中抜け、頂だけあって裾無しの砂漠化は
止めようがないのかもしれない。

では、今ミニコンポで充分としている方々に
良い音とやらを聴かせてみたらオーディオに足を踏み入れてくれるのか?。
これは怪しいものである。
無い話しとは言わないが、この確率も極めて低いと想像される。

結局、このギャップを埋める為には
頂上付近まで登ってしまいそうな愛好家の一部を勧誘して
8合目、7合目、あるいは5合目迄引き下ろしてみるしかない。

裾野から上に引っ張り上げるのではなく
山頂付近から蹴り降ろす?のだ。

“だいぶ良い音が出ていらっしゃいますから、ここらで一つ
もっと悪い環境と条件でそれなりの音を出してしまうところなど
お見せ頂ければ、、、”、なぁ〜んて言って現状を剥奪してしまう。

いや、そーでもしなければ砂漠化は止まらない
(ホントに止めたければの話しだけど)
自分たちだけは山頂に居て、“その辺りもなかなか良いところですよ”、
と言っても真実味は薄いというものだろう。

(ああ、能書きだけを書くのは我ながら疲れる、、。
続く、、、、かどうかわかりません。
もしかすると削除します。)


10月5日

さてさて、あーだ、こーだと能書きをこいたが
これも偏に柳沢先生の着眼と、それを一連のストーリーに載せて
書きつづられる才能に感激してのこと。どうかお許しあれ。

僕自身は基本的に自己中心派なので
オーディオ界全体を憂えるなどと言うことはあり得ない。

じゃあなんであれこれ書いたのかというと、
これは思いっ切り我が身を振り返っての故である。

お前はどうなんだ?と問われると
実に中途半端としか言いようが無い。

ハイエンドのオーディオ機器を専用スペースで使っている訳でもない。
かと言ってリビングに美しくオーディオを配置している訳でもない。
これぞ最悪?。(汗)


正直言って、今有り余るお金があれば専用スペースを
確保したい気持ちはある。

だが、そんなものは無い

6月に事業用ではあるが30畳弱のワンルームも手に入れた。
そこでオーディオやったら楽しいかな?という思いもあった。

でも、約3ヶ月経った時点での感想を言うと、
あんまり楽しくない”。

邪魔が入らないと言うことが、これほどつまらないものだとは
思いもしなかった。
(爆)

勝手なものである。
自宅では家人の出入りはあるし、最近は犬まで走り回っている。
近所に気兼ねもある。

恐ろしく制約だらけなのだが、こっちの環境の方が楽しい?のだ。

これはどうした事かわからないが、真実だから仕方ない。

詳しく書くとやる気がなくなる位制約だらけの自宅のオーディオなのだが
ここへ来て、“やっぱりおいらは当面ここで頑張るよ”、
みたいな気持ちになっている。

以前は、“このアップライトピアノが邪魔なんだよなぁ〜”、とか
あれが無くなれば、これが無くなれば、みたいな事を考えていたが
それも止めた。

とにかく現状で行く、今は贅沢は望まず、と開き直った感がある。


開き直ったついでに考えていたのが、
もっと音を犠牲にする環境に追い込んでみたらどうだろうか?”
と言うことだった。

別に自虐的方向に走った訳ではない。

よくよく見ると、今の自分には充分分不相応なオーディオ装置が
見た目にも忌まわしく思えてきた。

こいつらをもっと目立たない存在にしてみて
それでいて音質や使い勝手はあんまり損なわない
セッティングは無いものだろうか?と頭を悩ませる日々。

そんなタイミングでステレオサウンド最新号に出くわしてしまったので
正直ちょっと驚いてしまった。

だがしかし、そもそもセンスの無いよっしー
音も見栄えも格好良くオーディオをセットし直すなどという
難題をクリアー出来るだろうか?。
実に怪しいものである。


さて、“リビングオーディオ”。

もしそんなものを本気で実現させたかったら、
オーディオ野郎の知恵だけでは限界もありそうだ。

むしろインテリアコーディネーターさん辺りと一緒にプランニングしないと
駄目かも知れない?。

オーディオクリニックならぬインテリアクリニック?。

でも、第三者に出来る事には限度がある。

結局そこに住んでいる人が、ありったけの知恵を使って
挑戦してみるしかないのかな?。

やれやれ、これは大きなテーマですね。やっぱり、、。


話しが重くなりすぎたので、最後にボケを一発。

いや、柳沢先生のご学友は、よく車の中にいる先生を一目見て
元高校の同級生と見破る事が出来たものだ。
(註、赤信号で停車中の車の窓をノックしたらしい)

、、、、とすると柳沢先生は昔から変わらずあのフェイスだったのだろうか?。

そしてもう一つ。
もし人違いだったら、、、”、と考えなかったのだろうか?。

万一人違いだったら、只では済まなかった様な気がする。

なんてったって、“柳沢先生タイプで人違い”と言うことは
かなり恐い方面の方という事もあり得る訳で、、、、。(汗)

ああ、やっぱり書いてしまいました。
柳沢先生ごめんなさい。(!)


10月6日

先日、珍しく生録をしてみた。

バイオリンとチェロの二重奏。

場所は自社のこじんまりとしたホール。
要するに半分は仕事である。

当日朝になって、“そうだ、録音させてもらおう”、と
思い立ってDAT(TC−D8)を引っ張り出したがあいにく空のテープが無かった

残念ながらコンビニではDATのテープなんか売ってない。

DATは諦めるとして、残るはカセットMD
そこでカセット(WM−6)をチョイス。

マイクはソニーのワンポイントだ。

写真ではなども写っているが、使っている訳ではない。

ご覧の通り、ミキサーの上にマイクをポンっと置いて
WM−6に直結

音源からの距離は約5メートルで、やや離れすぎではあるが
録音の為の演奏会ではないので仕方ない。

演奏は素晴らしいもので、おしゃべりもいっぱい入った
素敵なミニコンサート。

胸を躍らせて帰宅して、いざ再生
忘れかけていたが、これが生録で一番盛り上がる瞬間である。

「、、、、。」

う〜ん、、、、、録音そのものは失敗とは言えない
ちょっと聴いてみて顔を曇らせてしまった。

何というか、艶不足
生々しいと言えば生々しいのだが、、、。

もっとも、これは無理もない。
ホールは本当に簡易的なところで、反響板なんて無い

さすがに演奏者が自分の音を聞き取るには不足無かったみたいだが
そもそもこの種の演奏を聴かせるには設備が不足だとしか言いようがない。

それでも、その場に居て自分の耳で聴いている時は問題なかったのだが
録音して再生してとなると、その辺りの問題が顕著に出てしまう。

思わず後処理でエコーを付加してしまおうかと思ったが
まあそれもちょっと大袈裟だ。

と言うことで、生録もそんなに甘いものでは無いという
当然の結論が出てしまった。(汗)

でも、たまには録音というのは悪くない。

例えFMのエアチェックレコードコピーであっても
録音してみるというのはなかなかアクティブな趣味だ。

レコードが今よりも高価だった時代は、FMは貴重な音源だった。
また、良いか悪いか別にして、レンタルレコードを録音するという行為は
資金の乏しい学生時代には不可欠な?行為だった。

(今ではその様な事をする学生さんも居ないかな?。)

音楽を聴くためにする事は、CDをトレイに入れるだけ。
それは大変便利な事ではあるが、
それ故に趣味としてのオーディオが衰退したのかな?と思うと
随分皮肉なものだ。

一生懸命レベル合わせをしたり、ポーズボタに指を掛けて
真剣にCMカットをしていた頃が懐かしく思える。


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