私がオーディオなる物に手を染めたのはいつの頃だったろうか?。
あれはそう、約25年も前のことになる。
中学二年生の時、両親が何を思ったか、突然ビクターのステレオを
買いこんできた。
今や死語だがシスコン(システムコンポ)というやつだった。
JL−B35(プレーヤー)、JA−S31(アンプ)、JT−V31(チューナー)、の組み合わせ。
スピーカーの型番は忘れてしまったが、30センチウーファーの3Wayであった。
この内チューナーだけはいまだに残っている。
それまで我が家にあった音響装置と言えば、モジュラーステレオとか
ラジオ、ラジカセ(当然モノーラル)くらいであったから、ちょっとした
カルチャーショックさえ受けた。
ステレオが来たのはいいが、レコードが無い。
あっても漫画の主題歌のEP盤だった。
そこで両親に、初めてLPレコードを買ってもらう事になった。
「森 進一 ベストセレクション」。
これが私が初めて買ってもらったLPである。
なんで花の中学二年生が演歌なのか?。
実は大の演歌マニアだったから、というのは冗談だが、
前年レコード大賞を取った「襟裳岬」がひどく気に入っていたのだ。
おかげで、朝から晩まで森進一の歌が、我が家のステレオから鳴り響く事になった。
それはさて置き、それまで見向きもしなかったオーディオ誌なども
にわかに目につき始める。
これってパソコンが来てから、突然書店のパソコン誌コーナーに通い詰める
おじさんと、ノリは変わらない。
当時はFMを聴くのがかっこいいとされていた時代だったので、FMレコパル、
週刊FM、FMfanといった雑誌を読む事が、これまた格好良かったのである。
3誌の中では、レコパルが一番若者向けで人気があったようだ。
全部隔週発売で200円くらいであったが、中学生の身ではまさか3冊買うわけにもいかず、
その都度どれを買うか、店先で真剣に悩んだものだった。
オーディオと言えばグレードアップ、と言うのがお約束事。
僕も雑誌を飽きることなく眺めては、あれがいい、これが凄い、あれが買いたい、と
頭の中でだけ、無限のグレードアップを楽しんでいた。
しかし、実際の所は、と言えば、LPレコードを半年に一枚買うのがやっと、という中学生である。
グレードアップなんて、夢のまた夢であった。
今にして思うのだが、当時何も買えなかったこの経験が、今の私のオーディオライフに
決定的な影響を与えているのは間違いない。
高校に進学したが、装置のグレードアップは実現しなかった。
バイトもしたので、ある程度お金は手にしたが他の物に変わって行ってしまった。
バイク、及びその関連品に消えていってしまったのだ。
まあ、これは正解だったかもしれない。いい若いもんがオーディオ一筋なんていうのは健康的ではない?。
ただ、カセットデッキだけは買った。一夏のバイト代のほとんどが消えていってしまったが、それでも惜しくない位色々な物を録った。
エアチェックもよくした。でもカセットテープだって今より遥かに割高だったから思うようには買えなかった。
だから録音中はいつもポーズボタン上に指を置いていた。CMをいかにきれいにカットするか、真剣勝負だったのだ。
やがて大学に入った。
音楽のサークルに入り、それまでにも増して音楽浸りの毎日となったが、オーディオのグレードアップはしなかった。
とうとう雑誌も読まなくなり始めた。
卒業して就職した。
花の独身。お金は自由になったが全てバイクと車に消えてしまった。
CDプレーヤーさえ買わなかった。
やがて結婚。
とうとう大きいスピーカーが邪魔になって捨ててしまった。
かみさんがCDプレーヤーを持ってきたのでCDは聴けるようになった。
でも、オーディオなんてどうでもよかった。ひたすらバイクと車であった。
しかし、ある時状況が変わったのである。
それは子供が生まれたことがきっかけであった。
バイク三昧、車三昧の生活は出来なくなった。
庭に出てそれらをいじっているとクレームがつくのである。
まあ、確かに今時の子育ては女親任せとはいかない。
それに子供が可愛くないわけではない。
しかし、私は生まれついて何かいじっていないと気がすまない人間なのである。
こればっかりは今後とも治りそうも無い。性分なのだ。
イライラが募ると夫婦生活にも、子供にも良くない。
で、ふと思い出したのがオーディオである。
これなら家の中でも出来る。
この頃ちょうど会社の同僚が、壊れたアンプ(マランツPM−94)をくれた。
直したもののまともなスピーカーが無い。
なにしろカーステレオ用のスピーカーを使っていたのだ。
プレーヤーは少し前に、生産完了になると聞いてあわてて買ったGT−2000がある。
むらむらっと音を立てて(?)その昔やりのこして来てしまった事が思い出された。
そうだ、スピーカーを作ろう!。
思い立ったら早かった。
何しろいじり、に飢えていたのだ。
何を作るかはすぐに決まった。
長岡式スピーカー、それもバックロードホーンである。
私のシステム構成を見た人は、オーディオマニアであれば一目で、「あ、こいつ長岡鉄男にはまってるな。」、とわかってしまうはずである。
そう、私が長岡氏を初めて知ったのは、それこそ25年くらい前にさかのぼる。
今は無き別冊FMfanの11号(1976年冬号)であった。
なんともユニークな人だな、と子供心に思ったものである。
スピーカーとプレーヤーが自作というのも多いに興味をそそられた。
オーディオ、イコールお金次第、というそれまで私が持っていた先入観を見事にふっ飛ばしてくれた。
その文章が、また壮快。切れ味抜群。オーディオ云々という垣根を取っ払っても気持ち良かった。
当時、氏のリファレンススピーカーはD−7と言ってフォステクスFE−203を2発使用した物。
作ってはみたかったのだが、お金が使えなかったし、工作も自信がなかった。
その後D−7はD−7Uへと発展。渋谷の東急ハンズへ行っては、カットを頼むとどれくらいかかるんだろう?、と毎回毎回うじうじしていたものだった。
結局作らず仕舞いであったが、氏の文章はずっと読みつづけていた。
そんな私だから、作るとなったらバックロードしかない。
さっそく氏の著作を過去にさかのぼって買い集め、作るのはD−55にあっさり決定。
横浜の東急ハンズに行くと、FE−208Sも、108Sも簡単に手に入ってしまった。
この頃ハンズでもユニットを大々的に扱っていたのだ。
108Sは、将来スーパースワンも作るぞ、と思って購入した。
その場でシナ合板のカットもお願いしてしまった。
宅急便で板材が届いて、さっそく工作開始。
とは言っても初めての木工である。失敗は出来ないし、時間はあまり取れないし、と言う事で、延々3ヶ月くらいやっていた。
かみさんも、一体何が起きたのかびっくりしていただろうが、一切口出しはなし。
いじりが止まって、相当イライラしていたのがわかっていたのだろう。
ここで口を挟んだら命取りである。
完成したら音を聴きたくてしかたない。
塗装なんか後回し、というわけで音出し。
いや〜、あの時は感動した。
音の良し悪しなんかどうでもよかった。自分で作ったスピーカーから音が出た。それだけで感動物だったのである。
1993年、春の事であった。
そんなわけで、後は坂道を石が転がるが如く、オーディオまっしぐらである。
意識の下に隠されていたものが、物凄い勢いで噴出して来てしまったようで、自分でも止めようがなかったのである。
その後何をどうしていったのか?。
記憶はおぼろげなところもあるが、思い出してみよう。
まず、考えたのがアナログの強化。
この辺が我ながらへそ曲がりである。
自分がオーディオから遠のいている間にアナログはデジタルに取って代わられてしまった。
これまでに莫大な数のアナログレコードをコレクションしてしまった、なんて言う人とは違うのだから、これを機会にCD中心でオーディオを楽しめばいいのである。
何が楽しくてこれからアナログを始めなければならないのか?。
根っからの変わり者だから、と結論付けるしかないが、詰まる所私は少年時代に遣り残してきた物をなんとかやってみたかったようなのである。
、、、やってみたかったようなのである、、、なんて言うと他人事みたいだが、その時点では自分のそんな気持ちに気がついていなかったと言うのが本当なのだ。
で、カートリッジを買いに行った。
その頃はビクターのZ−1しか持っていなかったのである。
ヨドバシへ行ってテクニカのAT−33EとAT−15EAGを買って来た。
どちらも割り引き率が大変高かったので買ってしまったのだ。
しかし、これは後で考えれば失敗だった。
どちらも悪いカートリッジではないが、結局33の方しか聴かない。
だったら33MLoccを買った方が良かったのではないか?。
次にデンオンのDL−103SLを手に入れた。これは1994年暮れの事。
その半年くらい前にAVフロント48冊をまとめてお譲りいただいた岐阜のYさんが、いかが?、と打診してきてくれたのだ。
この時併せて別冊FMfanのバックナンバーもお譲りいただく。
私は情報マニアでもあるようだ。
カートリッジが良くなってくるとGT−2000のノーマルアームに不満が出てくる。
悪いアームではないのだが、どうも軟弱。パイプの強度不足だろうか。キャラクターも感じる。
そこで今度はYSA−2を入手。個人売買である。
がぜん音が良くなった。これが1995年の事。
しかし、別冊FANの記事など読んでいるとL−1000が欲しくなってくる。
ステレオ誌に買いたし、を出したら運良く前橋のKさんからお譲りいただく事が出来た。
Kさんからはテクニクスの電子針圧計、SH−50Pもお譲りいただいた。
これは大変重宝している。
それは良かったが、YSA−2はカートリッジをどんどん付け替えて楽しむには不向きなアームである。
優秀なユニバーサルアームが欲しくなった。
ただ、アームだけ手に入れてもGT−2000への取りつけはそう簡単ではないだろう。
KP−9010を買おうと思ったが、何度か買い損なったし、アナログプレーヤが2台になるのもスペースファクター上、あまり好ましくない。
思い余ってKP−9010のアームだけを補修部品で買ってしまったのもこの頃だ。
ただ、買ってポンとつくような物ではないので結局そのまま。
今にして思えば、GT−2000のノーマルアームで我慢しておけばよかったのである。
しばらくして、月刊ステレオの個人売買欄を通して、SP−10U、EPA−100、MC−L10をゲット。府中在中のIさんからお譲りいただいた。
自作のコンクリートキャビネットに収まっていたが、さすがに落下の危険性など考えると、そのままは使えず、キャビネットだけは自作した。
長年の念願だった、合板積層のキャビネットを作ったのだった。
結局アナログプレーヤーは2台になってしまった。1996年の事である。
その後もダイナベクターのアームを衝動買いしたり(1997年)、コンダクトのカートリッジを手に入れたり(1999年)とアナログ関連のハードは増え続けている。
さすがにこれ以上増やしたくないが、今でもKP−9010か1100があれば買いたいと思うし、ガラードのフォノモーターも欲しいし、と物欲は果てしない。
アナログ関連に力を入れる一方で、アンプも物色した。
まず、憧れだったパイオニアのM−22を個人売買でゲットした。
でも、プリアンプはまだ無かったのだ。
安上がりに、とパッシブコントローラーを作ったりもした。これが1995年の事。
でも、やっぱりプリアンプがあった方が良い、と、これまた個人売買でPRA−2000を手に入れた。1996年の事。
ところがM−22の調子が悪い。
それでA−10Vを買ってきた。
これは正解で、PRA−2000+A−10Vは、なかなか良い音を聴かせてくれた。
それでも、どうしても欲しいアンプがあった。HMA−9500(U)である。
長岡ファンなら欲しい一台である。
実はこれまでに何回も入手し損なっていた。さすが人気商品。
半ばあきらめ気味だったが、一人だけ当てがあった。
府中のIさんであった。
Iさんの実家にHMAがあるのはアナログプレーヤーをお譲りいただいた時にわかっていたので、折ある毎に、「手放す時は是非。」とお願いしていたのである。
それが実現したのが1999年の事。故障してしまってはいたが、ついにゲットしたのである。
この年はアンプの当たり年であり、その他にもPRA−2000がもう一台。P−306RS,M−506RSのペアーも来てくれた。
そう言えば、前年暮れにマランツのモデル170DCも来た。これはあるPA屋さんの形見分けであった。
良いか悪いか知らないが、昔から物が集まりやすい性格なのである。
スピーカーも、D−55だけでは済まなかった。
点音源の音をどうしても聴きたくて、スーパースワンを作った。
1995年の事であった。
翌年AV−1mk2も作った。文字どうりAV用。オーディオの傍らAVも色々試した。
良い音のするオーディオなんて家族には喜ばれないが、テレビやビデオが楽しめるようになるのは歓迎されるのである。
テレビ置き台兼用のこのスピーカーも、優秀であったが我が家では大して活躍する事もないまま知人宅に引き取られていった。
まあ、その後もテレビ用スピーカーは色々作っている。
さて、子供も増えて、物も増えて、段々スピーカーが2セットもあるのがうっとうしくなって来た。
第一聴いている時間なんてほとんど無いのである。
どちらか残してワンセットに、と思ったが、Dー55とスパースワン、どちらにもそれぞれ良さがあり、片方だけは選べない。
それで両方とも投げ出してネッシーを作ることとした。
なんでネッシーかと言うと、床占有面積が極小で、FE−208SとFTー90Hがそのまま使えそうだったからである。
それともう一つ、バックロードでは聴けない、超低域を聴いてみたい、という思惑があった。
さて、作ってみてスペースファクターの点で、ネッシーは大正解。
ただ、覚悟はしていたが聴感上の低域不足には苦しめられる。100ヘルツくらいからダラ下がりになってしまう。
これを改善するには色々な方法があるが、ここ数ヶ月は、もっぱらプリアンプのトーンコントロールを活用すると言う、極めて安直な方法に頼っている。
最近オンキョーのP−306RS,オーレックスのSY−77と言うトーンコントロールつきのプリアンプが手に入ったからだ。
それで万全、とは思えないが、今はこれ以上やり過ぎないように自分を抑えている。
サブウーファーを作りたい気もするが、音質面で弊害もありそうだし、第一邪魔くさい。
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